ザベストワールドアイランド7度の栄誉に輝くバリ島
オランダ人の保養地となる
ゴム、コーヒー、紅茶などの農産物、石油、ボーキサイト、銅、マンガンなどの鉱物資源、さらには農林資源、香味料、海産物などの豊富な天然資源を目的に、オランダは350年間にわたって1万数千の島から成るインドネシアを植民地として統治しました。
それらの島々の中で、バリ島は何ひとつ地下資源に恵まれませんでしたが、この島には他の島々にはない人々の優しい微笑み、踊り、絵画、そしてバリ独特の文化がありました。
その魅力に注目したオランダ人はバリを保養地とし、他の島々で働いていた人々が休養を目的にこの島を訪れるようになりました。
ホテル建設始まる
1965年、地元の人々の猛反対を押し切って、バリ島東海岸のサヌール海岸に日本の戦争賠償によりバリビーチホテル(現在のグランドバリビーチ)が建設されました。
バリの人たちは、良い魂は山の上に住むと信じています。 人間は平野で生活し、亡骸はだびに付して灰にして水に流すのが伝統です。 ヒンドゥー教を信ずる彼らにとっては水は非常に神聖なもので、ビーチで遊ぶことなど考えられなかったのです。
しかし、住民の声は聞き入れられず、大統領の一声で10階建てのモダンなホテルが誕生しました。その後サヌールには、バリハイアット、サヌールビーチホテルが相次いで開業。1975~77年にはサヌール海岸に沢山のリゾートホテルができました。
政府主導のビーチリゾート完成
1972年、インドネシア政府は将来を見込みバリ島観光開発局(BTDC)を設立。バリ島南部のヌサドゥアを特別開発地区と定め、ホテル建設許可開始を発表。
まずガルーダ・インドネシア航空がヌサドゥアビーチホテルを建設。その後ホテルは全て5つ星クラスと決め、国をあげてヌサドゥア地区をPRしました。
ただし、島全体がすっぽり緑に囲まれるように、ヤシの木より高い建物は禁止しました。 ハワイやグアムのようなニョキニョキとした建物には絶対にしないという条件を付けたのです。その結果ヌサドゥアにはヒルトン、シェラトン、ハイアットなど5つ星クラスのホテルが8つもでき、青写真から20年を経て、ヌサドゥアは計画通りインターナショナルビーチリゾートとして完成しました。
その後、政府はヌサドゥアと反対側のジンバラン地区にもホテルの建設許可開始を発表。インターコンチネンタルホテル、フォーシーズンズ、リッツカールトン(現アヤナリゾート)、ヌサドゥアの隣接地区タンジュンブノアには、コンラッドが開業しました。さらに、2007年には、ブルガリリゾート、2008年にはセントレジス、と世界のトップブランドのホテルが次々とオープンし、第一級の国際リゾート地区として、さらに世界の注目を集めるようになりました。
国際会議開催
こうした中、2007年12月には、国連気候変動枠組条約会議がヌサドゥア地区において開催され、世界主要各国から約10,000人の参加があり、国際会議リゾートとしての注目を集めました。
ビーチリゾートからウブドへ
ビーチリゾートの開発が進む一方、芸術の村として多くの人を魅了し続けるウブドとその郊外には、フォーシーズンズサヤンのオープンを機に、多くの高級リゾートホテルやビラができ、人々はやすらぎを求めて訪れるようになりました。
このような多彩な魅了を持つリゾートとして、2006年7月、ニューヨークに本拠を置く、トラベル+レジャーマガジンは、1998年の初受賞以来7度目、2002年から5年連続、世界及びアジアにおけるベストアイランド賞をバリ島に授与いたしました。
守られ続ける伝統、文化
今では30万人も日本人が訪れるようになり、バリ島は大きく変貌を遂げました。 しかし、バリの人たちの生活様式は本質的には変わっていません。
バリ島の約380万人の人口のうち大多数は農民で、観光業とは関係のない生活をしています。陽の出る前に田圃に出、陽射しが強くなる9時くらいには家に帰り、昼寝をしたり、ご飯を食べたりしてバンジャル(集会所)に集まります。バンジャルとは冠婚葬祭も行う40世帯余りの生活共同体のこと。恵まれない人は自分たちのできる範囲の物を持ち寄り、裕福な人たちは彼等を助け合いながら仲良く生活しています。
しかし、幹線道路が開通するたび、そんなバリらしさが失われつつあるのも事実です。
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